「気象」
まずは日本語での基本的な語彙についておさらいしておきたいと思います。
日本語で「気象」という語は、一言で言えば大気のあり様を指す言葉です。時間的、空間的に様々に異なる規模を持つ、大気中の諸現象や状態は全て気象という言葉で表すことができます。
これは地震や土石流などの「地象」、川の氾濫や洪水などのような「水象」、太陽、月、惑星の運動などの「天象」、虹などの「光象」などと対立した、しかし密接に関連した概念です。
ところで、『日本国語大辞典』(小学館)では「天象」や「光象」については『正法眼蔵』からの引用があるのですが、「地象」の用例は「土地収用法」という法律の条文からの引用ですし、「水象」に至っては見出し語すらありません。『気象業務法』(昭和27年〜)には確かに載っているのですが… 参考までに、その『気象業務法』第二条の最初の部分を以下に引用しておきます。
第二条 この法律において「気象」とは、大気(電離層を除く。)の諸現象をいう。
『気象業務法』第二条より最初の部分
2 この法律において「地象」とは、地震及び火山現象並びに気象に密接に関連する地面及び地中の諸現象をいう。
3 この法律において「水象」とは、気象又は地震に密接に関連する陸水及び海洋の諸現象をいう。
(以下略)
なのだそうです。
これら以外にも、例えば「海象」「海況」「星象」「大気光象」など実に様々な用語が自然科学の各分野ごとに使用されています。これらの語の多くに共通している「〜象」は、様々な「現象」を表す語を作る接尾辞として、最近の専門的文献では特に重宝されているようです。
「天気」「天候」
気象用語としての「天気」「天候」
気象は、どのようなタイムスパンで切り取って観察・記述するかに応じて異なった呼称が用いられることがあります。
中でも特定の時点もしくはごく短い期間における具体的な気象の状況は「天気」と呼ばれることがあります。例えば「天気予報」や「天気図」などは、全て特定の日時における具体的な気象状況を指し示すために用いられているわけです。
これに対して、複数の日からなる幅のある期間における平均的な大気の有り様は「天候」と呼んで、天気とは区別することがあります。
日常用語としての「天気」「天候」
もっとも、これらの語の使い分けはそれほど厳密なものではなく、あくまでも専門用語として使う時の約束事みたいなものです。専門用語としても、時間の幅について厳格な区切りがあるわけではありません。
日常の言語使用においてはこの基準に全く当てはまらない用例は非常に多く見られます。実際「天気」と「天候」の一般的な意味の違いはとても微妙です。例えば、上で「天候」という語は幅のある期間の平均的な大気の有り様を表す、と述べましたが、日常生活での言語使用においては、
「昼休憩に入るのとほぼ同時に天候が急激に悪化したため、午後の行事は全て中止になった。」
などのような言い方は普通に可能ですし、違和感もほとんどないというか、むしろこの文に限っては「天気」の方が逆に使いづらい、という人すらいるかもしれません。(「天気」は多分、「〜天気が急に悪くなったので〜」のように和語風の表現にすればもっと使い易くなると思います。)
もともと一般的な意味で用いられていた語を専門用語として転用する際、通常よりも意味が限定されたり、場合によっては全く異なる意味で用いられたりするのは、日本語に限らずどの言語でもしばしば見られる現象です。その場合、それぞれの学問分野ごとに「この語は専門用語としてはこういう意味で使いましょう」と取り決めて使っているだけなのであって、現実の言語使用はそのような後付けの学問的定義には必ずしも縛られてはいませんし、縛られる必要もないわけです。
[余談ですが、この手の「ズレ」は、民法など法律関係が有名ですが(「善意」「悪意」など)、他にもプログラミング用語での「ユニーク」とか、「枯れた(技術)」などもよく例としてあげられます。気象の分野だと…他に何があるでしょう? 低気圧に「発達のセンスがある」みたいな言い方がちょっとそれっぽいでしょうか。]
文学での「天気」「天候」
ところで、日本語の「天気」は千年以上の歴史を持つ由緒ある単語なのに対し、「天候」の方はそれほど古いものでもないらしく、『日本国語大辞典』(小学館)でも明治以降の用例が2例掲載されているだけです。一つ目は島崎藤村『夜明け前』の「天候の不順」という表現の引用で、もう一つは国木田独歩『号外』の「本日天候晴朗なれども波高し」という有名な文(を作中で引用している部分)からの引用です。後者は言うまでもなく本来は「天気」だったはずのものですが、国木田独歩はこれを「天気」とは書かず、あえて「天候」と書いています。その意図は不明ですが、「天気」と「天候」との間の線引きが、実は当時からあいまいなものだったことを示す一例かもしれません。
明治時代の専門書に見られる「天気」「天候」の解説
実際、試しに国立国会図書館のアーカイブ(国立国会図書館オンライン)で「天候」を検索してみると、明治時代の書籍がたくさんヒットします。その中から、天気と天候の違いに言及しているものを探すと、以下のような文献がありました。該当部分を以下に引用してみます(太字は原典まま)。
九、天氣
岡田武松著『氣象學講話(附録 簡易氣象觀測法)』明治四十一年(1908年) pp.40-41.
四六 天氣 只今までは、氣温氣壓濕度降水雲形等を別々に説明を致した、我々が俗に天氣と云ふのは、此色々のものが集りて顯はれたのである、そこで此色々のものを天氣の要素と謂ふ、是は丁度水と云ふ化合物は、酸素と水素で出來てるから、此を水の元素と云ふのと同じである。一體天氣は時々刻々に變るから、例へば午前十時と云ふ時刻の天氣と云ふことは謂へるが、嚴重に云ふと三月二日と云ふ日の天氣と云ふことは云ひ難い、斯う云ふ時は大抵天候と曰ふ語を用ゐる。
国立国会図書館のアーカイブの語句検索で見る限り、既に明治時代から、「天候」の用例は専門的な文献であるか否かを問わずそれなりに多かったようです。その多くは時間幅にかかわりなく「天気」の類義語として使用されています。一方、上で引用した文献では、「天気」と「天候」は明確に区別されています。ここでの「天候」は、一日単位と多少短めではありますが、一定の幅をもつ期間の中での平均的な状況を表すために用いられています。
しかもこの著者は、ここでそう呼び分けましょうと特に提案しているわけでもないため、この呼び分けは慣行としてはこの書籍が出版される以前から既に存在していたようにも読みとれます。なので、この文献が使い分けの初出であるとは断定できないのですが、少なくとも専門用語としては、これらの用語の使い分けが明治時代末期には既に存在していたことは確実なようです。
ドイツ語での「天気」「天候」の区別
なお、上記のような専門用語としての「天気」(ごく短時間の気象状況)と「天候」(ある程度幅のある期間の平均的気象状況)の区別は、英語には(少なくとも単語レベルでは)見当たらないのですが、同じゲルマン語派のドイツ語にはなぜか存在します。前者に相当するのが Wetter (n.) で、後者に相当するのが Witterung (f.) です。
というか、順序としてはおそらくドイツ語の区別の方が先にあり、日本語での区別はそれをお手本にして後から導入されたものではないかと考えられます。明治時代以降、近代気象学が日本に導入された際、既に自然科学の分野での先進国でもあったドイツの気象学がいわばお手本にされ、その際にドイツ語にあるそれらの単語を訳し分けるために、当時の日本人研究者たちが当てた訳語がそれぞれ「天気」「天候」だったのではないでしょうか。
明治時代といえば、エルヴィン・クニッピング (Erwin Knipping (1844-1922)) が日本の気象観測の体制の基礎を据えるためにいろいろと活動していた時期にあたります。「天気」と「天候」を区別する習慣も、クニッピングによって日本にもたらされた可能性は結構あるんじゃないかと個人的には思っています。もちろん確証はなく単なる個人的推測ですが、これら2つの語を上記の意味で明確に区別して用いた最初の文献が何で、いつ頃どういう経緯で出版されたのかが分かれば、そこら辺も多少ははっきりするかもしれません。
「気候」
またさらに長く、数十年もしくはそれ以上のスパンを持つ長期的な傾向については「気候」と呼ばれています。「天候」は数日単位での気象要素を平均化したものですが、「気候」の場合はそれが最低でも数十年単位になります。1年の間に見られる気象要素の変動をならし、平均化し、その長期的な変動の傾向を数十年という長期的スパンで見たものです。ドイツ語では Klima (n.) と呼ばれています。
統計上はしばしば30年のスパンが用いられますが、その期間は10年単位で更新されます。現在は平年値を出すためには1990年から2020年までの30年間が用いられています。もちろん目的に応じて、もっと長い期間が対象となる場合もあると思います。
それとは別に、「室内気候」という言葉もあります。こちらは屋内のごく狭い空間内、例えば部屋の中での温度や湿度のあり方を述べる言葉だと思ってください。「気候」という言葉が使われていますが、上の「気候」とは分けて考えて問題ないと思います。


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